上を下へのジレッタ<一幕>
2017年5月7日〜6月4日
@東京・Bunkamura シアターコクーン
2017年6月10日〜6月19日
@大阪・森ノ宮ピロティホール
ネオンが輝く夜の街にひとり佇む、派手なコートを羽織った黒髪の男。
軽く微笑み、身振り手振りを加えながら
<♪永遠なる右肩上がり>
<♪一億人にもれなく当たる明るい未来>
と希望いっぱいに歌い上げる。
》TV局スタジオ
華やかな上着を脱ぎ捨ててくるっとターンをすると、そこはテレビ局のスタジオ内。大きなカメラを担いだカメラマンや肩にカーディガンを巻いたプロデューサーらが忙しく走り回り、4人組の歌姫たちが本番が始まるのを今か今かと待っている。
黒スーツに黒ネクタイ姿の自称天才テレビディレクター・門前市郎(横山裕)は、まもなく放送を開始する歌番組を仕切っていた。テレビを通じて<のぞみ通りの虚構の世界>を作り上げてみせる自分のことを、門前は自らこう称する<生まれついての大嘘つき><希代の詐欺師><天才マジシャン>。
「ディレクター、本番ですー!5秒前、4、3…」
<飛ばせ電波でまやかしを>
その声とともに放送が開始する。
<リアルは全部フレームアウト>した世界で、4人の歌姫が口パクをしたり化粧を盛って塗って必死のパフォーマンスをしている。曲の最中にも関わらず、門前は右端の子とセンターの子に立ち位置をチェンジしろと指示を出した。戸惑いながらも素直に従い、立ち位置を変える歌姫たち。
まだ放送の途中だというのに苦情の電話が鳴り響いて止まない。
「下品?」「汚い?」「教育上?」
すべての電話の受話器を放り投げ、門前は言う。
<あんた、昨夜の夢につべこべ言うか?どれも演出!すべてタテマエ!そう、フィクション!>
CMに入ると、プロデューサーが門前に詰め寄った。
「おいおい、門前マズイよ!なんだあのオープニングは!なんでよりによって竹中プロのタレントをあんな端っこに!?」
「説明するまでもないでしょう」
「!?うわっ、来たぞ来たぞ竹中の社長が!」
はいペッターン!と言わんばかりの勢いで、プロデューサーが土下座をする。
「説明してくださるかしら?!」
「本番中に立ち位置が変わった理由です!」
毛皮のコートを羽織った竹中プロの女社長・竹中郁子(銀粉蝶)とその腰巾着の男・竹中社長秘書が怒鳴り込んで来た。そんなふたりの剣幕にも全く動じず、門前は涼しい顔で言い返す。
「おたくのタレントがあまりにも見苦しかったのでどいてもらったまでです」
「門前!!」
プロデューサーは必死に諌めるが、門前と竹中社長の言い争いは止まらない。
「見苦しい?!うちの子が?」
「テレビはいつも現実離れしたものを提供しないといけないのに、あんな近所の娘でもできるような歌と踊りをやられちゃったら!」
「それを現実離れしたものに見せるのがあなたの仕事でしょ?」
「せめてガラスならダイヤモンドに見せてやれないこともないですよ、しかしその辺の道端に転がってる石ころじゃあ何をしたって石ころでしょう!」
「それは、あなたが“無能”だからじゃなくって?」
「無能? この俺が?」
「そうよ。今すぐこの仕事、辞めたほうがいいわ。クビにして」
突然話を振られたプロデューサーは、門前の肩を揉みながらなんとか場を収めようと愛想笑いを浮かべる。
「生意気ですが、才能のあるやつでして……」
「この男を切らないなら、すべての番組からうちのタレントを引き上げます!」
「門前、貴様はクビだ」
「えっ?!」
「結構!」
満足そうに勝ち誇った笑みを浮かべる竹中社長。突然職を失った門前は、失意のまま家路についた。
》リエの家
「番組見たわ。竹中プロを怒らせなくてもクビになっていたかもね」
門前が家に帰るなり、妻の間リエ(本仮屋ユイカ)がコーヒーをすすりながらそう呟いた。
「またイチから出直しだ」
「大丈夫よ、あなたなら」
「いい機会だリエ。お前とも離婚しよう」
「?!」
突然の申し出に、思わず飲んでいたコーヒーを吹き出すリエ。
「何がいい機会なの?!」
「デカイことを始めるにはデカイ犠牲が必要ってことさ。ほら、これ」
動揺するリエに門前がポケットから差し出したのは離婚届だった。
「すでに離婚届まで?!」
「すでにサインもしてある」
「……逆らってもムダね。あなたがそう決めたなら」
そこにジリリリジリリリと電話のベルが鳴った。
「はい、門前」
ソファーに腰掛けながらぶっきらぼうに黒電話の受話器を取る門前。電話の相手は門前にクビを言い渡したプロデューサーだった。今日の番組の視聴率がビデオ速報で52%と快挙だ、社長がお前に会いたがってる!と手のひらを返したようなウキウキ声のプロデューサーに、会う理由がないね!俺はもうクビになったんだから!とピシャリと言い放ち、電話を切ってしまう。
「何かで読んだんだけど、オーソンウェルズって俳優がいてね。彼は天才すぎて仕事も結婚も上手くいかなかったそうよ。だからきっと、あなたもそうなんだわ」
「サインはしたか」
しぶしぶ離婚届を門前に渡すリエ。
「また誰かと結婚するの?」
「さあね、したって長続きしないだろうよ」
そこへドンドン!とドアを叩く音がして、文芸誌の編集者が入ってきた。
「お疲れ様です、小説真朝です!原稿の催促に参りました!」
原稿の準備など1ページできていなかった門前は、慌ててペンと原稿用紙を引き出しから取り出しながら、叫ぶ。
「リエ、口述筆記だ!」
「嫌よ!わたしもうあなたの奥さんじゃないもの!」
「『銀座に着いためぐみは、来るとも来ないともしれぬ高橋を思いながら夜空を彩るネオンを見上げた。そうしていると自分がまるで……ペラペラペラペラペラペラ…………』」
机を削るような勢いで何枚もの原稿を高速で埋めていくリエ。門前は頭を抱えながら、しかしスラスラとペラペラと、物語を紡いでいく。
「『信じていいの…?めぐみは小さく呟いた』……つづく!」
「悔しい!いつもの癖で速記しちゃったわ!」
「いやあ、いつもながらお見事です!先生はタフですなぁ。テレビの演出もしながら小説もエッセイも評論もこなすっていうんですから」
ゴマをすりながら床に散らばった原稿を拾い集めている編集者にふと門前は聞いてみる。
「おたくの雑誌社は芸能にも強かったよな?何か竹中プロについてのネタはないか」
「竹中プロですか……あっ!晴美なぎさって歌手をご存知ですか」
「ああ、顔を見せない覆面歌手とかいうあの?」
「その歌手を最近、竹中プロはクビにしたそうですよ」
「そりゃまた、なんで」
「さぁ、理由までは?それじゃあ次号もお願いしますねー!」
急ぎ足で去って行く編集者。バタンと扉が閉まる。
「“晴美なぎさ”ねぇ……」
「竹中プロに復讐でもするつもり?」
「コケにされたままじゃいられねぇだろうがよ!」
「わかるわ!わたしもそうだもの。……執念深いのよ」
「……この部屋とここにあるものは全部やる。元気でな、もう会うこともないだろうよ!」
足早に部屋を出て行く門前を見送ったあとで、リエは叫んだ。
「会うわよ!きっと」
》とある音楽スタジオ
白いグランドピアノの前に門前が座っている。コンコンっとノックする音がして、女がひとり部屋に入ってきた。
「ごめんください、晴美なぎさです!」
「よく来てくれた!……っ!?」
晴美なぎさ(中川翔子)のルックスを見て、門前は椅子から飛び上がらんばかりに驚いた。なぜならなぎさは、浮き輪のように膨れたお腹、何重アゴなのかわからないほどに太った首、肌が垂れ下がった妖怪のような顔、とどこからどう見ても不細工としか言えないかなり醜い容姿をしていたからだ。驚きのあまり、声をうわずらせながら門前は尋ねる。
「き、君が、晴美なぎさ?」
「はい!本名は越後君子って言いま…」
「本名なんてどうでもいいよ!覆面歌手として活動してたっていうのは?」
「はい!人前に出るときはこういう仮面をつけていました!」
「納得だよ……」
なぎさの手には仮面舞踏会でつけるようなピンク色のヴェネチアマスクが握られていた。竹中プロをクビになった経緯を聞いてみると、地元でリサイタルが開かれた際に舞台上で親に晴れ姿を見てもらいたくて思い切って仮面を取ったら、不思議なことに会場中が笑いに包まれたからだと言う。
「不思議でもなんでもねぇな。君、整形するつもりは?」
「アッハハハハ!ありませんよ!」
ドンッと軽く肩を小突くだけで男の門前を簡単に突き飛ばしてしまう。すごいパワーだ。
「こう見えても私、“ミス丸太ん棒”なんですから!」
「なんだそりゃ」
地元で行われている伝統的なミスコン・“ミス丸太ん棒”(5日間道の端に丸太ん棒のように立って何人男が言い寄ってくるかを競う)で優勝したと説明するなぎさ。
「お前に言い寄ってくる男がいたのか?」
馬鹿にする門前だが、なぎさは54人に言い寄られてダントツの優勝だったと言い張る。
「数え間違いだろ」
「間違ってなんかいません!」
「まあいい、とにかく歌を聴かせてくれ、曲はなんでもいい」
「その前に何か食べさせてくれませんか、クビになってからろくなもの食べていなくって……」
「歌い終わったら食べさせてやる!」
「出前を取ってください!」
「ああもういいや、これでいいか!」
竹中プロに在籍していたときに“晴美なぎさ”名義で出したシングル『黄昏のフィナーレ』の伴奏を門前がピアノで引き出すと、なぎさは仕方なく素晴らしい歌声で歌い出した。
<♪I miss you I need you
Do you love me?
I do love you noodle……>
「ヌードル?」
しっとりとしたバラードには似つかわしくない歌詞に引っかかりつつも、とりあえず聞き流して再度伴奏に徹する門前。
<♪誰かのすする たぬきそば
あなたの好きな たぬきそば>
「お前は一体なんの歌を歌ってんだ」
「何か食べたらもっと上手く歌えます!」
<♪静まり返った部屋の中 薄い壁越し囁くの
ズズズズゾゾゾ ズズゾゾゾーッ>
「蕎麦をすするな、蕎麦を!」
<揚げ玉? 天かす? どっちでもいいわ!
まるで水面を埋める 花吹雪
それが私の それが私の たぬきそば>
情熱的に歌い上げ終わるのと同時に空腹のあまりパタリと床に倒れてしまったなぎさ。どこか様子がおかしい。明らかにシルエットが変わっている。倒れている彼女を見て驚きの声を上げる門前。
「うぉっ??!君!!」
「このくらいでご勘弁を……」
門前が勢い余ってスライディングしながら顔を見上げると、さっきの醜い容姿とは似ても似つかぬほどスタイルも器量も良い絶世の美女へと変貌していたなぎさの姿があった。
「どういうことだ、この顔はぁ!!だってまったく別人だぞ!」
「贅沢は言いません。お水でいいから飲ませてください……」
「ちょっと待ってくれ!……カラクリがわかってきたぞ。君は腹が空くと美人に変身するんだ!」
そう、この美貌であればミスコン優勝も納得なのだ。“ミス丸太ん棒”で優勝した際は5日間何も食べていなかったから空腹で変身後の容姿だった。そして、仕事をしていたときは「曲がりなりにも食えていた」から、竹中プロは知らないのだ。門前は、この秘密を利用しようと思いつく。
「俺と契約しよう、なぎさ」
「雇っていただけるんですか?!」
「となれば、芸名を変える必要があるな……そうだ、小百合チエってのはどうだ!俺に任せろ小百合チエ。この門前市郎が必ずお前をトップスターにしてみせる!」
》記者会見の会場
無数のフラッシュがたかれる中、芸能事務所・門前プロ設立を高らかに宣言する門前。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。この度わたくし、門前市郎は門前プロを立ち上げました。お披露目のため弊社所属のタレント、小百合チエをご紹介いたします」
「小百合チエでございます!」
フラフラとした足取りでスタンドマイクの前に立ったチエが顔を上げた瞬間、集まった記者たちからどよめきが上がった。
「おお!」
「すごい美人だ!」
「竹中プロに対抗するとか言い出したときはなんの冗談かと思っていたが、これはひょっとするとひょっとするぞ」
「どうぞ、よろしくお願い致します!」
チエが勢いよく頭を下げると同時にグゥ〜っと大きなお腹の音が鳴り響く。
「会見は以上です!」
門前は慌ててチエの肩を抱いて下がらせた。
「今後の予定は?!」
詰め寄る記者たちからの質問に、門前は自信たっぷりにこう答える。
「うちはタレントを安売りしませんよ、初めから大勝負に出るつもりです。例えばそう、ブロードウェイのジミー・アンドリュウスと共演させるとかね」
ドッと爆笑が起きる会場。いつのまにか竹中社長とその秘書の男も混ざっている。
「アッハハ!これがおかしくないってんなら、あなたは正気じゃないわ!」
「竹中社長、いらしてたんですね」
「あの世界的スターが、日本の無名タレントなんかと共演するわけがない」
「どうしてそんなことが言い切れるんです」
「我が社ですら相手にしてもらえないからだよ」
秘書の男が横から口を挟むと、竹中社長がぴしゃりと諌めた。
「余計なことは言わなくていい!」
「ジミーを呼べないのは、あなた方が、“無能”だからじゃないですか?」
「無能ですって?!」
「それでは失礼」
呆気にとられる竹中社長をその場に残し、ゆっくりとした足取りで壇上から姿を消す門前とチエ。慌てて記者たちもそのあとを追いかける。会場に残された竹中社長は苦い顔をしながら吠えた。
「あのどシロウトめ!見てくれだけでスターになれるほど、芸能界は甘くはないわ!!」
》とある撮影スタジオ
背景にピラミッドが描かれたアラビアンなセットの前で、ツタンカーメンのような派手でセクシーな衣装を着せられたチエの写真撮影が行われていた。カメラマンがノリノリで撮影する後ろで門前が指示を飛ばす。素直に従い、笑顔でポーズをとるチエだが、ひっきりなしにお腹の音が鳴っている。
「尻を突き出せ!胸をグッと寄せろ!それから腹を黙らせろ!!」
「だったら何か食べさせて!」
やいやい言い合いながらも撮影は無事終了。美人のチエを撮ることができたカメラマンも満足そうだ。門前が急かす。
「一刻も早く現像して、アメリカのジミーに送ってくれ」
「任せてください!」
カメラマンがスタジオを出て行こうとしたちょうどその時、ドアがバンッと勢いよく開いてベレー帽を被った男が入ってきた。チエを見つけて嬉しそうに叫ぶ。
「キミちゃん!!」
「オンちゃん!?」
「なんだ、知り合いか?」
男はチエにかけ寄り、薄着の彼女に自分の上着をサッとかけてあげる。
「オンちゃん優しい!でもなんでここがわかったの?」
「テレビで記者会見を見たんだよ」
「一体お前は誰なんだ」
「俺が誰だか知りたいか?俺の名前は、山辺音彦だっ」
山辺音彦(浜野謙太)はチエ=越前君子の幼なじみだった。<ゆらりゆらり ゆられて夜行列車>で、山辺はマンガ家、君子は歌手の夢を追いかけて一緒に上京して来たのだという。
<飢えてこその小百合チエ>
<食えば食うほど 食えなくなるぞ 食ったら食えなくなるぞ>
<芸能界でパッと荒稼ぎ>
と言う門前と、真っ向から対立する山辺。
<今は食わせてやれないけれど……>
<いつかきっと一発当てて 君に思う存分食わせたい>
<結婚資金 コツコツ貯めて>
山辺がポケットからバナナを取り出してチエに渡そうとするが、間からサッと門前が取り上げる。門前に食ってかかる山辺。
「お前がキミちゃんを虐待しているのはひと目でわかった!……ああ、こんな貧相な顔になっちまって」
「見苦しい姿を見せちまったねぇ」
「見苦しいのは元の顔のほうだろ」
「俺は本来のキミちゃんの顔のほうが好きだ!」
「その顔が好きなのは日本中で君だけだ!」
「なんだと!」
「そろそろインタビューの記者が来る。外で話をつけようじゃないか」
「望むところだ!待っててキミちゃん、戻ってきたら腹一杯食べような」
「先生!オンちゃん!!」
睨み合いながらスタジオを飛び出して行く門前と山辺を、チエは不安そうに見送った。
》工事現場前の路上
門前と山辺は歩きながら言い争っている。ついにキレた山辺が叫んだ。
「どこまで歩かせるつもりだ!」
「だってここは工事現場だぞ!」
「いいか!よく聞け、俺とキミちゃんはな!」
「婚約してるんだろ!でも金がない、だったらおとなしく彼女の成功を待ちな!!」
「馬鹿野郎!こうなりゃ話は別だ。俺はな!〜〜〜〜〜〜〜!!」
身ぶり手ぶりを交えながら熱く門前に説明する山辺だが、工事の音でかき消されて何を言っているのかわからない。
「〜〜〜〜ウィーン、ガシャッ。ってな。そこのところどうなんだ」
「ごめん。まったく聞こえなかった」
「なんだと!もう二度と言わないからちゃんと聞いておけッ!俺はな!…………」
山辺が話を始めると、またしても工事の轟音が鳴り響く。困った顔で必死に耳を傾ける門前。
「……ウィーン、カシューッ。てな!さぁ、答えを聞かせてくれ!」
「ごめん!もう一回頼む!」
「お前ッ、ふざけやがって!」
山辺のあまりの激昂に思わず逃げ出し、門前は工事現場の階段をかけ上って行く。追う山辺。
「こら待て、門前!」
「だって音がさ!」
「馬鹿にしやがって!」
ふたりが登りきったビルの工事現場は、周りの建物が小さく見えるほどかなり高い場所だ。
「ちょっと落ち着けって、危ないぞ!下見ろって、下!」
怒りに任せて体当たりを試みる山辺だが、門前にひらりとかわされ、手すりにガシャン!と音を立てて正面からぶつかった。
「お前、やりすぎだぞ!」
「俺は何もしてないだろ!」
「この野郎ッ!」
山辺はついに門前につかみかかった。門前は足場ギリギリのところまで追い込まれながら抵抗する。
「おい、離れろって!離れろ!」
揉み合ううちに、門前は山辺を突き飛ばしてしまった。勢い余って“高所注意”のチェーンを越え、ビルの工事現場から落下する山辺。
「うわあああぁぁ」
山辺が落ちた先には深い穴があった。下に向かって必死に叫んでみるが、返事はない。夕方になるまで門前がひとり途方にくれていると、工事の作業員2人が階段を上ってきた。
「おい、にいちゃん。こんなとこにいちゃあ危ないよ」
「もし万が一、あの穴に落ちたりしたら命がねぇ」
「命が?」
「だからこれから塞ぐんだ」
「塞ぐだって?!!」
「なんだい、あのすごーく深い穴に、何か落としちまったのかい?」
「いや、何も……」
「それは、すごーくよかった」
「くれぐれも落っことさねぇようにな、自分だけは」
ゴホゴホと咳をしながら作業員の2人は階段を降りて行った。門前は頭を抱えて思い悩む。
「山辺が、死んだ…どうする俺……いや、でも山辺は見つからない。穴は塞がれちまったんだ!あわれ山辺音彦は単なる行方不明ってことになる。だけど待てよ、チエのやつにはなんて説明する?チエだけは俺と山辺が一緒にいたことを知っている。どうする、門前!!」
》門前プロの事務所
そうして悶々と過ごしつつ、一週間が経ったある日のこと、ジリリジリリと門前プロの電話が鳴った。力なく受話器を取る門前。
「はい門前……なにっ?ジミー・アンドリュウスが?チエに食いついたか!」
》とあるショー会場
ステージの上で煌びやかな衣装を身にまとったブロードウェイスターのジミー・アンドリュウス(馬場徹)が、世界各地の美女をバックにつけて<世界の女 虜にする 俺の美声>と歌っている。ソファに腰掛けながらジミーのショーを観ている門前とチエ。門前はチエの肩に手を回した。
「信じられるか、チエ。あのジミー・アンドリュウスがわざわざお前に会いに、はるばる日本までやって来たんだぞ!」
「わたしに会いに?あのなんだか薄っぺらい外人が??」
ジミーのマネージャーが舞台袖から小声でジミーに囁いた。
「気をつけろ、ジミー!テープと口がずれてる!」
「シッ」
人差し指を口に当てるジミーとバックダンサーたち。そう、実はジミー・アンドリュウスは<百万曲歌ったって潰れない>喉を持つ、スピーカーから出る音に合わせて口パクをしているだけの“偽りの美声のFake Star”だったのだ。同じく空腹の時だけ変身する“偽りの美貌のFake Star”であるチエは、ジミーとすぐに意気投合した。しかしそこで、ジミーが突然おじいさんのような声になってしまう。
「機材トラブルだ……っ」
「機材って?」
門前の問いにも答えず、マネージャーは大急ぎでジミーをつれてステージを後にした。チエは不思議そうに顔を傾げる。
「どうしたのかしら?」
「お前こそどうした、その陰気な顔は」
「そりゃだって、オンちゃんが!」
「いい加減やつのことは忘れろ。スナックのホステスと駆け落ちなんて、ずいぶんと薄情なやつじゃないか……」
門前がチエに背を向けてそう説明していると、後ろで扉が開き、ルームサービスがやってきた。すぐさま飛びつき食べ始めるチエの勢いに、ホテルマンもウワァッと声をあげて後ずさる。門前は気づいていない。
「それよりも今はジミーだ!いいか、国際的スターの彼に気に入られて……」
パッと振り返ると、食べ物をこれでもかと口に詰め込んでいるチエの姿が遥か遠くにあった。
「おい、お前食うなーー!」
追いかける門前。しかし時すでに遅く、チエは本来の不細工な姿に戻ってしまっている。
「ごめんなさい……」
「ああ、チクショウ!走れ!ホテル中を走って今すぐ腹を空かせろ!!」
そんな中ジミーもまた、喉に仕込んだ機械が直らずひどい声のままだ。
<けれどじゃあ「本当の私」は?><「本物」は無価値?>と悩むチエとジミーに、門前とジミーのマネージャーは声を合わせて言う。
<「真相」は闇の彼方へ……>
》ビルの工事現場の穴の中(地下)
一方、あの山辺音彦はどうなったのか。ビルの工事現場の穴に落ちてから60日が経った今、なんと彼はまだ生きていた!
ムクリと起き上がる山辺。顔を覆うほどのヒゲとボサボサの髪、ボロボロの服姿でふらふらと歩き出した。
「今日こそ出口を見つけ出してやる。こんな所で死んでたまるか!」
ふと地中に建っている鉄柱を見ると、“御用のある方はこちらのボタンを押してください”と書いてある。
「あるよあるよ。御用あるよ!」
喜んで迷わずボタンを押す山辺。すると、グニャリと視界が歪み、先の見えないほど巨大な階段が現れた。階段をコツコツと降りてくる不気味な人影も見える。よく見てみると、その人影はなんとベレー帽をかぶった山辺だった。落ち着きなく左右をふらふらと行き来している。
「俺だ!?」
「ああ、俺だ」
「なんでここに俺がいるのに俺がいるんだよ……っていうか落ち着け“俺”!」
「柱がジャマで……」
「柱?わかった今飛ばしてやるよ」
山辺がそう言うとスッと柱がまっすぐ上に飛んでいった。 階段を降りてきたもうひとりの山辺が慌てて尋ねる。
「いいのか?!このビルを支える柱だろ?!」
「話をそらすな、“俺”!ここは一体どこなんだ」
「ここは……ジレッタさ!」
「ジレッタ?ジレッタって何なんだ!」
「ああッ、説明している時間はない!カウントダウンはもう始まっているんだ!」
デジタル数字のカウンターが現れ、パニックになるふたりの山辺。カウンターの数字はピッピッと音を立てて9、10、11…と増えていく。
「おい、数増えちゃってるじゃねぇかよ!」
「ああもうダメだあぁ!!」
「いくつになったらダメなんだ!」
「わからない!うわわあぁぁ……!!」
爆弾が爆発した。ベレー帽を被った山辺が爆死し、ひとりの山辺が生き残る。生き残った山辺は、さっきまで小汚い格好をしていたのに、いつの間にかビシッと決めたオールバックに白いスーツ姿になっていた。おまけにバックダンサーの美女集団までいる。元の冴えない男とは思えぬ軽やかなステップを踏み、華やかに踊り歌いながらジレッタの説明を始めた。
<俺のジレッタ 俺の妄想>
<これがジレッタ 俺の幻想 俺の想像>
そう、山辺音彦はこのジレッタという妄想世界に入り浸るおかげで、かろうじて生き長らえていたのだ。キメポーズを決めて踊り終え、美女たちと楽しげにハイタッチをする山辺。その様子を離れたところから不細工な姿のチエが見ていることにハッと気づく。
「キミちゃん?!どうしてここに」
「先生が良心の呵責に耐えかねて教えてくれたのよ!でも無駄足だったようね。わたしはアンタのハーレムに加わる気はないわ!」
「誤解だよキミちゃん!この人たちはさすがに俺のソロじゃ寂しかろうと集まってくれただけなんだ!」
「さ・よ・う・な・ら!」
ふんっと踵を返して去っていくチエを追いかけ、山辺は腕を掴んで引き止める。
「待って!知ってるだろ、俺にはキミちゃんだけなんだ」
「悔しい。今にもわたし嫉妬の炎で燃え上がりそうよ!」
「熱っ、キミちゃん本当に熱いよ!」
山辺が掴んだ腕から煙が上がり、君子は本当に燃えてしまった。
「キミちゃーーん!」
すると、突然あたりが暗くなり、銃声が鳴り響いた。バックダンサーの美女たちは悲鳴をあげて去っていく。
「誰だお前は!」
山辺が叫んだ先には、ライフルを構えた門前の姿があった。山辺が詰め寄ろうとすると、背後から門前が現れる。この野郎!と追いかけると、また全く正反対の場所から門前が現れた。
「はっはっは!俺ならここだ!」
「瞬間移動……お前いつの間にそんな技を?うわっ、やめろ!」
湧いて出てきたたくさんの門前にボコボコにされ、力なく横たわる山辺。
「く、くそ……門前…門前たちめ……」
ムクリと起き上がると周りには誰もおらず、元いた工事現場の地下にいて、元のボロボロの姿に戻っていた。山辺は妄想世界=ジレッタから戻ってきたのだ。
「今回の出来はまあまあだな。でも改めて考えみると、ジレッタの中で起こることはどれも過去の俺の漫画のアイディアだ」
山辺がふと耳をすますと、工事のドリルの音が近づいて聞こえてきた。
「レスキュー隊か!?助かった!おい!俺はここだ!!」
山辺は声の限り叫ぶが、ハッとしてつぶやいた。
「……いやまさか、これもジレッタか?」
》記者会見の控え室
門前は善は急げとばかりに記者会見を開き、チエのデビューコンサートを正月2日に開催すると発表する。客演はジミー・アンドリュウスに決まったと言うと、おおっ!と記者たちが大きくどよめいた。記者会見を終え、控え室に戻るなり、門前は大喜びでチエをぎゅっと抱きしめた。嬉しそうに左右に揺れる。
「やったな、チエ!俺たちとうとうここまで……!」
そこで門前は、やっとチエが力なくふらついていることに気がついた。
「なんだなんだ、まるで風船を抱いてるみたいだぞ」
「だって丸3日も何も食べていないもの!」
「許してくれチエ。君の努力には頭が下がるよ。これも君をスターにするためだ」
「スターになる前に餓死しちゃいます!何か食べさせて!」
「おっ、そろそろさっきの記者会見が放送される時間だなァ♪」
チエの言葉は今の門前の耳には届かない。門前が軽やかな足取りでテレビのスイッチをつけると、ニュース番組が流れ始めた。
「次のニュースです。今朝、東京都・港区の建設中のビルの地下から、男性が救出されました。男性のいた場所は出入り口のない密室でしたが、排水工事のため入ってきた作業員に偶然発見されたということです。男はその場所に2〜3ヶ月閉じこめられていたとみられ……」
「救出されてよかったわねぇ」
チエは他人事だが、門前は青ざめている。あのビルの工事現場、3ヶ月前、テレビに映る担架に乗せられたボロボロな姿の男性。間違いなく、門前がビルから突き落とした山辺だった。彼が目覚めたら、きっとあの晩のことも小百合チエの正体も暴露されてしまうだろう、と怯える門前。
「ああチクショウ!成功はもう目前だってのに、どうする門前!!」
門前は頭を抱えた。
》小百合チエ デビューコンサートの会場
そんな中、1月2日、ついにチエのデビューコンサート当日がやってきた。舞台裏で待機するチエは美人に変身しているが、空腹で意識が朦朧としている。客演を務めるジミーはそんなチエに近寄りキスをした。門前はひゅう♪っと口笛を吹き、ジミーのマネージャーもそっと目を逸らした。その時、ジミーが悲鳴を上げた。なんと空腹のあまりチエがジミーの舌を食べようとしたのだ。
「やめろチエ!ジミーの舌は食い物じゃないぞ!」
「ケホッケホッ、何か飲んじゃった!飴玉かしら」
門前がチエをジミーから引き離すと、チエのお腹からジミーの歌が聴こえてくる。どうにかして止めてこい!とチエを怒鳴る門前。チエは走って出て行った。ジミーが息絶え絶えにマネージャーに訴える。
「く、食われた……スピーカー」
「なんだって?!」
チエが食べたのはジミーの喉に仕込んであったあの秘密のスピーカーだった。マネージャーが音を止めようとするが、機械が故障してしまって操作がきかない。覚悟を決めてひどい声のままステージに立つと言うジミーを、<それだけはやめてくれ>とマネージャーが必死に止める。その時、チエが元の不細工な姿になり、パンパンのお腹をさすりながら戻ってきた。
<止まったわ>
<またその顔か!>
<お水をたらふく飲んだから>
「5分で元に戻れ!その間はなんとかジミーに繋いでもらう。なぁ、ジミー。ジミー?おいジミーどこだ!」
振り返るとジミーとマネージャーの姿がない。こんなところでお前のスター生命を終わらせてたまるか!と、マネージャーがチエのデビューコンサートに見切りをつけてジミーと共に引き上げてしまっていたのだ。なかなかコンサートが始まらないことに不満が爆発した観客が騒ぎ出した。門前が説明しようとステージに出ていくが、暴動は収まるどころか勢いを増していく。
<ジミー ジミー ジミーの歌を!>
「いない、消えた…」
<チエ チエ チエの顔を!>
「そっちも準備中だ!」
客は納得するどころかヒートアップしてしまい、<謝罪しろ!><土下座しろ!><責任を果たせ!>と怒号が飛び交う。するとそこに、ステージを観に来ていた竹中社長が現れ、門前に向かって言った。
<一度貼られたレッテルは 簡単には剥がれない>
<お前は二度と這い上がれない>
「やめろ、やめてくれ!」
》リエの部屋
成功を目前にしての転落に、失意のまま元妻・リエを訪ねる門前。以前と家具の配置も変わっていない。
「そろそろ来る頃だと思ったわ」
「お前も俺を笑ってんだろ」
「わたしを他の連中と一緒にしないで」
「俺の周りにはもう、誰もいない」
「あなたはね、トカゲみたいに体の一部を失ってもすぐまた前より立派なものが生えて来るのよ!そうでしょ!この部屋はそれまでの巣みたいなものよ」
「……さすがによくわかってるな。俺はまだこんなもんじゃない。この程度の挫折じゃ、かすり傷さえつきゃしないんだよ!」
落ち込んでらしくない弱音を吐いていた門前だが、リエに励まされ、いつもの調子を取り戻す。そっとリエにキスをしようとしたそのとき、電話が鳴った。リエが出る。
「はい。ええ、いますけど……あなたによ。大学病院から」
「病院?……はい門前です。なんだって?!ええ、すぐ伺います!」
慌てて電話を切り、取るものもとりあえず走って部屋を出て行こうとする門前をリエが呼び止める。
「待って!唯一の味方を置いて行くつもり?」
「お前も付いて来てくれ」
「行き先は」
「ビルの工事現場だ」
「工事現場?」
ふたりは上着を羽織り、走りながら部屋を出て行った。
》ビルの工事現場の穴の中(地下)
門前とリエが到着すると、大きな鉄柱のそばに横たわる山辺を囲うように3人の医者が立っていた。山辺は死んでいるかのようにピクリとも動かない。
「大学病院で容体が急変したため、試しにここに戻してみたところ容体が安定したのです」
「そもそも不思議なのは、この男が3ヶ月もの間飲まず食わずでどうして生きていられたのかということです」
「彼はこの鉄柱のそばでのみ眠りにつき、この鉄柱のそばでのみ容体が安定するので、この鉄柱に何か秘密があるのかもしれないと……」
医者たちの説明を遮り、門前は聞く。
「そもそもどうして俺が呼ばれたんです。こんな男に見覚えはない」
「それは、この男の妄想に、決まってあなたが登場するからです」
「俺が?」
「ちょっと待って」
黙って聞いていたリエも割って入った。
「この男がどんな妄想をしているかなんて本人以外にわかるはずないでしょ」
「それがわかるんです!さぁおふたりとも、これを。騙されたと思って!」
医者に渡されたのは聴診器だった。それを男の胸に当ててみろと言う。門前とリエは半信半疑のまま、横たわる山辺の胸にそっと聴診器を当ててみる。すると頭がフラフラとしてカクンと眠りに落ちると同時に、辺り一面が砂漠になった。
いつの間にやら、山辺や医者たちの姿が消えている。サボテンがそこら中に生えていて、酒場があり、テンガロンハットをかぶったカウボーイがたくさんいる。<ステレオタイプの西部劇>のような世界だ。わけがわからず門前とリエがパニックに陥っていると、仲良く一頭の馬に乗った山辺と不細工な姿のチエが<わたしたち ジレッタ1の美男美女>と歌いながらのんびりとやって来た。
「助かったわ!」
リエが喜んだのもつかの間、山辺が門前に向かって一丁の拳銃を投げてよこした。
「どういうことだ?」
「取れ!門前!」
「決闘?!やめて!」
リエが怯えながら見守る中、門前は拳銃を拾い上げてスッと山辺に向ける。
「いいさ、こいつとはいずれ決着をつけなきゃならねぇんだ」
「よく言った。さぁ来い!」
山辺も馬からおりて門前に拳銃を向けた。門前と山辺が睨み合い、緊張感のある時間が流れる。うわぁぁ!と門前が気合いを入れて引き金を引こうとした瞬間、チエを乗せていた馬が門前に向けて発砲した。
「うえぇ?!」
「撃った、馬が?!」
情けない声を上げてその場に崩れ落ちる門前。まさかの展開に驚きながらも、門前の側にしゃがみこんで「馬なんかに……」と泣いて悲しむリエ。山辺とチエは笑いながら走り去っていった。
「うえぇ?!」
「馬なんかに……!」
医者が聴診器を外すとふたりは元いた工事現場の穴の底に戻っていた。横たわる山辺の姿もある。ハッとするふたりをニヤニヤしながら見下ろす医者たち。
「おわかりいただけましたかな?」
「サッパリわからないね!」
「彼の妄想を体験できたでしょう」
「今のは一体どういうこと?!」
「調べたところ、この鉄柱は東京中からある種の超音波を吸収し、発信している。その超音波が彼の脳を刺激して彼の妄想を作り出しているのかと」
「どうして俺たちもこの男の妄想を見ることができるんだ」
「それはこの男の精神波が強いからでしょうな。彼が妄想世界にいるときは仮死状態なんです。だから3ヶ月もの間、飲まず食わずで生きることができたんですよ」
「信じられないわ」
呆気にとられる門前とリエに、3人の医者たちがさらに説明する。
「我々はこの妄想世界を“ジレッタ”と呼んでいます」
「彼が妄想世界の中でそう説明するからです」
「「「ここはジレッタだ、と」」」
》夜の公園
大きな噴水の前にあるベンチに並んで座る門前とリエ。
「お前ならわかるな、俺が今何を考えているか」
「ジレッタね」
「そうさ。今回の仕事は芸能界とはスケールが違う。世界中に革命を起こすんだ。門前市郎、一世一代の大勝負だ!」
「でも、あんなものを使って一体何を」
門前はリエに説明する。<世界中でテレビを見ていない人間は>いないが、<今にテレビは空気になるよ ラジオと同じ空気になるよ>と。マスメディアの王座が空席になったとき、そこに降臨するのがジレッタだと。門前の表情はどこか夢見心地でジレッタに魅せられた中毒者のようだった。
<ジレッタこそ本物のマジック 全世界に約束しよう 退屈な現実から君たちを解放するって>
<ジレッタは体験するメディア 与えられる刺激じゃない クレームは無視されない 誰もが主人公>
門前はジレッタを利用して一儲けしようと目論んでいたのだ。だんだんと狂気じみていく門前を静かに見つめるリエ。
<世界中がジレッタを? 聴診器が足りないわ><そこが一番重要よ?>
止めようとするリエにも、<どうにかするさ そいつは あとで考える>とあいまいに答える。門前は、リエの前で片膝を立てて手を差し伸べた。まるで王子様がお姫様に求婚するかのようなポーズだ。
<マスコミに革命を起こすんだ 大切なのはパートナー 闇の中 光を灯してくれた君>
しかし、リエはすぐには首を縦に降らなかった。門前をまっすぐ見つめて言う。
<条件があるの 簡単な条件よ 小百合チエと別れて>
<知ってるんだから あなたが彼女を 囲ってるって>
<水木金と飢えさせて 変身したら抱きに行くのよ>
「ごまかさないで!!」
リエに追い詰められた門前。困窮してたずねた。
「つまりなにか、君ほどの女があの田舎娘に妬いてるっていうのか?」
「認めるわ!あの小百合チエの方の顔に、たまらないほど妬いているのよ。いい?彼女と別れない限り、わたしはあなたと組むつもりはない」
「……わかった」
「言ったわね?」
「きっちり別れてやるから、お前は俺のそばにいろ」
「今日は楽しかったわ。またね」
リエは満足そうな笑みを浮かべ、踵を返して帰って言った。
リエが去ると、門前はそれまでの表情をパッと崩した。
「ハッ、勝ち誇ったような顔をしやがって!悪いがこっちは女の嫉妬に付き合ってる暇はねェ」
吐き捨てるように言い、不敵な笑みを浮かべる。
「まずは資金集めをしないとなァ。使い切れないほどの金とえげつない向上心を持ったスポンサーを探すんだァ!」
》ビルの工事現場の穴の底
そこへ、<わたしは歴史に名を残したい><有名人に囲まれていたい>と主張する日本天然肥料の社長・有木足(竹中直人)が取り巻きをたくさん引き連れてやって来た。
「ちょうどいいのが現れた」
門前は片笑みを浮かべて言う。
<殺し文句は『先駆者』『草分け』『パイオニア』>
門前は有木に、取り巻きたちからひたすら褒められて担ぎ上げられるジレッタを見せて接待していた。門前が有木の聴診器をサッと外すと、有木がジレッタから現実世界に戻ってくる。
「ハッ、わたしは何を?」
「これが、ジレッタで〜す♪」
門前は自慢げに言う。
「今の感じの良い連中がいた世界がか?!」
「お気に召していただけましたか?」
「君!これは大当たりするぞ!」
「お力添えいただけるなら、社長がジレッタ界の『パイオニア』ということに!」
「このわたしがパイオニアー?!よし、やろう!わたしを男にしてくれ門前くん!」
「それはこっちのセリフですよ、社長!」
激しく抱き合い盛り上がるふたり。と、そこへ、美女に変身した姿のチエが現れた。横たわる山辺を見つけ、慌てて駆け寄る。
「オンちゃんーーーー??!」
「チエ?!え、ちょっと待て……」
「どけーー!!」
チエは驚く門前を構わず突き飛ばし、地面に横たわっている山辺を揺り動かした。
「オンちゃん、オンちゃん!」
「止めろ、触るな!死ぬぞ!」
「死ぬ?!」
「ヘタに動かしたら死ぬ。今彼は生死の境をさまよってるんだ」
「ど、どうして……」
「ちょっと待て!!!」
動揺しているチエをよそに有木が割って入ってきた。
「ジレッタの大元は死にかかってるのか?そんな将来性のカケラもない事業に協力はできんよ、門前くん!」
「社長、それは違うんですよ。あのー……」
「一体どういうことよ?!」
ふたりに同時に攻められ、門前は狼狽える。
「門前くん!」
「はいッ!」
有木に摑みかかられて、ビクッと返事をする門前。有木はチエを見つめながらふにゃりと笑いながら言った。
「今すぐあの美女を紹介したまえ〜♡」
「それは、あとでしますから!」
門前は有木を抑えながら、チエに怒鳴る。
「リエか!お前にこの場所を教えたのは、あの女だな?!」
「どうしてオンちゃんがこんなことに……!」
「それはあれだ、どうやら事故にあったらしい」
「事故?!」
「しかし、悲しむのはまだ早い。いつも彼は心の中で君のことを想っているんだよ」
「どうして先生にそんなことが……!」
「これを彼の胸に当ててごらん」
門前はチエに聴診器を手渡した。カッとなって門前を睨むチエ。
「いくらわたしが馬鹿だからって、こんなものでオンちゃんの気持ちがわからないことくらい……」
「つべこべ言わずにさっさとやれ!!」
「命令ばっかり!ワンマン社長の元のタレントは惨めだわ……」
チエはしぶしぶ聴診器を山辺の胸に当てる。すると頭がフラフラして、コクンと首がうな垂れた。門前がそれを確認し、有木に言う。
「ジレッタに入ったようです」
「一体彼女は何者なんだ?」
「自分を山辺のフィアンセだと思い込んでる頭のおかしな女です」
「この男がフィアンセ?!羨ましいやつだな〜〜!」
「実際はそうでもないですよ」
「どういう意味だ?」
「いや、別に……それより社長!社長は来たる万博の会場にパビリオンを出展する予定がおありだとか」
「そう!我が日本天然肥料は世界中のトイレが集結するトイレ館を建設するんだ!」
「いや、トイレ館って……」
「今、笑ったか?」
「いえいえ!トイレ館も魅力的ですが、ここはひとつ、ジレッタで勝負してみては?!」
「ジレッタ館か!」
「その通り!」
門前がチエの聴診器を乱暴に取ると、チエが現実世界に戻ってきた。
「あれ?わたし……」
「俺の言ってたことは嘘じゃなかっただろ」
「不思議な場所でオンちゃんがわたしに言ってくれました!俺が愛するのは君だけだって!」
片隅で顎をさすりながら思案していた有木がピョンと飛び跳ねて叫んだ。
「よし決めた!トイレ館は撤退!!世界の注目を浴びる万博で、ジレッタお披露目といこうじゃないか!」
「社長!!」
門前は声を上げて喜ぶ。
「ジレッタってなんですか?さっき、オンちゃんもおんなじことを……」
「チエ。お前の彼氏はとんでもない才能の持ち主だったぞ。これからこいつは、いや彼は!前代未聞の大成功を収めるんだ!!」
<ハロー ジレッタ>
「港区地下生まれの虚構の神」
<ハロー ジレッタ>
「現実を覆う虚構のカーテン」
門前が不敵な笑みを浮かべながら、まっすぐ前を見つめて言う。
<今ならわかるあれもこれも きみと出会うためだったんだ>
<さあ楽しもう 世界中を俺ときみで 騙すんだ>
ジレッタの中で山辺に会い、安心したチエは胸のあたりで両手を組みながら門前の横に立って言った。
<お礼を言わせて ジレッタ 生活のめどが立ちそうよ>
有木も一歩前に、門前のそばに歩み寄る。
<持ち上げておくれ ジレッタ 松下幸之助の上に>
その異様な光景の裏で、山辺は思っていた。
<行くなジレッタ ごちゃ混ぜになった ボツのアイディア>
<行くなジレッタ 俺が育んだ個人的妄想>
<どこにも行くな ジレッタ! 俺のジレッタ>
門前は後ろから忍び寄り、山辺の肩に手を置く。
「ひとり占めはよくねぇな」
誰も山辺の主張に耳を貸さなかった。おい、降ろせ!という抵抗も虚しく、山辺は担ぎ上げられて研究所に連れていかれてしまう。
<今ならわかる テレビもラジオも映画も漫画も文学も きみの前座さ ジレッタ>
<世界中が狂喜乱舞 大喝采 ジレッタ>
<世界中が俺たちの前にひざまずく>
門前は両手を広げ、笑みを浮かべながら希望いっぱいに言った。
<世界を手玉に……ジレッタ!>
→二幕へ〔つづく〕